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第29回Neurology SPECT定量検討会

第29回Neurology SPECT定量検討会を開催しました。 北村伸先生 は創設メンバーのお一人でした... 北里大学の我妻慧先生からは、アミロイドPETの撮像についてご講演いただきました。PETの施設基準については こちら 。アミロイドPETでは、白質の非特異結合があり、mortion artifactで灰白質に白質の信号が混じると正しい読影が困難になります。その場合、動く前のデータを使って画像を作るか、やり直すか。顎の固定や、高齢者で亀背気味の場合は首の後ろのスペースをタオルで埋めるなど放射線技師の工夫が紹介されました。 東邦大学医療センター大森病院の水村直先生には、SPECTの画像の作り方をご講演いただきました。正常と異常のコントラストが付くことが目標。午前午後で被放射能が変わるので、フィルターの掛け方も違う。カラースケールも正常・異常がわかるように調節。テクネシウム製剤はカウントが高いのでSNは良い。高齢者では後頭葉・頭頂葉のカウントが高くなるので読影注意。バックグラウンドの集積を撮る場合もあるが、画質を知るにはバックグラウンドのデータも見る。特にDaTSCANはバックグラウンドは線条体のカウント量を知ることができる。DaTSCANのadaptive template registrationの論文は こちら 。

第64回日本核医学会学術総会

 パシフィコ横浜で 第64回日本核医学会学術総会 が開催されました。 シンポジウム03:Prodromal レヴィ小体病とEANM-JSNM Joint Session:Parkinson Imagingを企画させていただき、シンポジウム03ではProdromal 「レヴィ小体病」について講演させていただきました。 An Essay on the Shaking PalsyはAmazonでKindleで 無料で閲覧できます 。 小阪憲司先生が、のちにdiffuse Lewy body disease(DLBD)と呼ばれる、進行する認知症とパーキンソニズムを呈し、大脳皮質に広範なレヴィ小体が出現した剖検例を症例報告されました。 こちら 。 小坂先生はDLBDをアルツハイマー病変を伴うcommon formと伴わないpure formに分類されました。 こちら 。そしてレヴィ小体の存在を特徴とする病態、レヴィ小体病(Lewy body disease:LBD)という概念を提唱されました(小阪憲司ら、精神神経学雑誌 82号: 292-311, 1980)。LBDには group A (diffuse type, = びまん性レヴィ小体病)、group B (transitional type)、group C (brain stem type, = パーキンソン病)の3タイプに分かれ 、のちに cerebral type が追加されました。脳幹型のパーキンソン病はDaTSCANで必ず集積低下がありますが、 レヴィ小体型認知症(Dementia wiht Lewy bodies:DLB)では集積低下がない例もあります 。cerebral typeが該当すると思われます。 1995年第1回国際ワークショップで、レヴィ小体型認知症(dementia with Lewy bodies: DLB)の名称と臨床診断基準が提唱されました。 こちら 。 DLBの診断基準は、核医学検査が重要視されるようになりました 。 パーキンソン病でも同様です 。 認知症を伴うパーキンソン病(Parkisnon's disease:PDD)とDLBを分ける基準は 1-year rule です。しかし科学的根拠に乏しい基準であるため、 1-year ruleを使わずにパーキンソン病としたらどうかと...

北村伸先生(1950-2024)

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北村伸先生が2024年10月29日ご逝去されました。 北村先生は1976年日本医科大学を主席で卒業され(当時は銀杯が授与されていました)、日本医科大学第三内科に入局されました。当時、日本医科大学第一病院に第二内科、付属病院に第一内科と第三内科があり、付属病院の神経内科は第三内科にありました。その後大学の組織再編があり、1977年から第二内科に異動されました。 先生は、Xeを用いて血管性認知症と脳循環についての研究を始めました。当時、認知症(痴呆と呼んでいました)は精神科がメインでした。 その後、国立中野病院でPETを用いた研究を始めました。その頃日本にPETがあるのは、他に東北大学と秋田脳研のみでした。そして第一病院に頭部専用のSPECT装置が導入しされ、そこでも研究が始まりました。 1999年4月日本医科大学武蔵小杉病院の初代神経内科部長として赴任されてからは、認知症の臨床に尽力されました。少人数のチームのため、脳卒中ではなく認知症をやろうと決断したそうです。2007年4月に文部科学省の私立大学学術研究高度化推進事業社会連携部門の助成のもと、認知症街ぐるみプロジェクト」がスタート。このプロジェクトの目玉である 街ぐるみ認知症相談センター は2007年12月に開設されました。これらの功績により、2012年には武蔵小杉病院は川崎市の認知症疾患医療センターに認定されました。 たくさんの治験にも積極的に参加されました。 memantineの本邦の治験を指揮されました。だから私は、患者さんにmemantineを説明する時、「私の師匠が開発に関与したんだ。」と言っています。 実臨床には上がってこなかった薬の中には、一時的に日本医科大学武蔵小杉病院が世界一のエントリー数だったこともありました。lecanemabのClarity AD試験では、専門医がアルツハイマー型認知症と エントリーしても薬の割り付けまで辿り着ける患者さんは1/3以下でした が、日本医科大学武蔵小杉病院は割り付けまで至った患者数が日本で2位でした。脳血流SPECTを認知症診断に応用しているからだと思います。まさに北村グループの流れ。私も、北村先生や兄弟子に核医学の読影を鍛えられました。 高齢者の運転免許更新の際のテストも監修されました。このテストで認知症疑いと言われ私の外来にいらっしゃる人、ほとんどの方が認知...