第28回日本医学会総会特別企画
東京ビッグサイトで第28回日本医学会総会特別企画が開催されました。第28回日本医学会総会は4月8日〜10日に開催予定でしたが、東日本大震災で中止になりました。
「震災後の地域社会と医療」というシンポジウムがありました。
岩手医科大学坂田清美先生は、被災者の健康状態の調査結果が提示されました。岩手県大槌町は人口の10.2%が死亡または行方不明と、被害は甚大です。阪神淡路大震災との違いは、行政機能が破壊されたことでした。特に大槌町は、町長がお亡くなりになり、役所の課長クラスのほとんども他界された状態に。そうすると、避難所がどこにあるか、どなたがいらっしゃるのか、情報発信できる部署がありません。実際、空の避難所が存在し、それは、物資の供給がないから、供給がある避難所に皆さんが移動していったから。思うに、クラウドコンピューティングのように、住民台帳やカルテが被災地以外の場所にあったら、国民総背番号制が実現していたら、別な自治体の支援が容易だったのではないでしょうか。被災者の健康状態調査の精査は、公衆衛生的な側面の他、危機管理のヒントを与えてくれることでしょう。
石巻赤十字病院石井正先生からは、救護活動の実態が示されました。ご講演内容の一部は、ここに記事がありましたので、ご参考に。石巻市は、元々宮城県沖地震が将来起きた場合、甚大な被害を受けると予想されていて、震災に備え、2010年1月には自治体、基幹病院、医師会、自衛隊、警察など災害医療の実務担当者によるネットワーク協議会が発足していました。震災1カ月前の2011年2月には、宮城県が、石井先生に県の災害医療コーディネーターを委嘱、災害発生時に石巻市など沿岸部の医療提供体制をつくるための調整役を任せていました。そして、震災。院長は、石井先生に全権委任しました。通常、震災直後は、クラッシュ症候群など外傷患者が多く搬送されるのが常ですが、過去の地震の経験から耐震性が高い建築物が多かったため重症外傷患者は思いのほか少なかったそうです。津波被害は恐ろしく、救急搬送が必要な状態を許さない... つまり、死者・行方不明の数に比べ、負傷者が少ない。Disaster Medical Assistance Team(DMAT)や広域医療搬送拠点(Staging Care Unit、SCU)のニーズは、それほど大きくならなかったようです。しかし、被害が甚大かつ広域であったため、長期滞在型で自己完結できる医療チームが活躍しました。エリア・ライン制という、避難所の数などを勘案して石巻市周辺を14の「エリア」に分割、長期的に支援可能な医療支援チームを各エリアに置いて幹事役として運営を一任するというシステムを作られました。1ヶ月以上の支援を表明している医療支援チームを「ライン」と呼び、避難所などの状況に応じて各幹事役の下に必要な数のラインを割り当てて、長期にわたって安定した医療支援を行ってもらう。各エリアの運営を幹事役に任せられるようになった石井先生は、診療所再開の状況や避難所の統廃合に合わせて、毎日ライン数を調整。情報ネットワークの重要性を強調されました。「便りがないのが良い便り」ではなく、「Help」である。
東北大学里見進先生からは、東北大学の行った支援について講演がありました。大学も震災で部屋がめちゃめちゃになりましたが、病院は免震構造で患者・職員の被害はほとんどなかったそうです。しかし、薬品や食料備蓄などすぐに問題が累積、各大学に支援を要請しました。その結果、他の医療機関に配布できるほどの状態になりました。震災直後に患者が押し寄せることを予想していましたが、やはりそれほどでもなかったと。最前線は沿岸だった。
次の研究会への移動のため途中で退席させていただきました。ビッグサイトのある有明やお台場は巨大な建築物がつぎつぎと建設されていました。あんな津波が来たらひとたまりもないのでしょうが、東京でも、半年も更地のまま何も変わらない、という状況になるでしょうか?
私が途中退席で聞けなかった、レセプト情報が役立ったというお話は、目々澤先生のブログをご参照ください。
「震災後の地域社会と医療」というシンポジウムがありました。
岩手医科大学坂田清美先生は、被災者の健康状態の調査結果が提示されました。岩手県大槌町は人口の10.2%が死亡または行方不明と、被害は甚大です。阪神淡路大震災との違いは、行政機能が破壊されたことでした。特に大槌町は、町長がお亡くなりになり、役所の課長クラスのほとんども他界された状態に。そうすると、避難所がどこにあるか、どなたがいらっしゃるのか、情報発信できる部署がありません。実際、空の避難所が存在し、それは、物資の供給がないから、供給がある避難所に皆さんが移動していったから。思うに、クラウドコンピューティングのように、住民台帳やカルテが被災地以外の場所にあったら、国民総背番号制が実現していたら、別な自治体の支援が容易だったのではないでしょうか。被災者の健康状態調査の精査は、公衆衛生的な側面の他、危機管理のヒントを与えてくれることでしょう。
石巻赤十字病院石井正先生からは、救護活動の実態が示されました。ご講演内容の一部は、ここに記事がありましたので、ご参考に。石巻市は、元々宮城県沖地震が将来起きた場合、甚大な被害を受けると予想されていて、震災に備え、2010年1月には自治体、基幹病院、医師会、自衛隊、警察など災害医療の実務担当者によるネットワーク協議会が発足していました。震災1カ月前の2011年2月には、宮城県が、石井先生に県の災害医療コーディネーターを委嘱、災害発生時に石巻市など沿岸部の医療提供体制をつくるための調整役を任せていました。そして、震災。院長は、石井先生に全権委任しました。通常、震災直後は、クラッシュ症候群など外傷患者が多く搬送されるのが常ですが、過去の地震の経験から耐震性が高い建築物が多かったため重症外傷患者は思いのほか少なかったそうです。津波被害は恐ろしく、救急搬送が必要な状態を許さない... つまり、死者・行方不明の数に比べ、負傷者が少ない。Disaster Medical Assistance Team(DMAT)や広域医療搬送拠点(Staging Care Unit、SCU)のニーズは、それほど大きくならなかったようです。しかし、被害が甚大かつ広域であったため、長期滞在型で自己完結できる医療チームが活躍しました。エリア・ライン制という、避難所の数などを勘案して石巻市周辺を14の「エリア」に分割、長期的に支援可能な医療支援チームを各エリアに置いて幹事役として運営を一任するというシステムを作られました。1ヶ月以上の支援を表明している医療支援チームを「ライン」と呼び、避難所などの状況に応じて各幹事役の下に必要な数のラインを割り当てて、長期にわたって安定した医療支援を行ってもらう。各エリアの運営を幹事役に任せられるようになった石井先生は、診療所再開の状況や避難所の統廃合に合わせて、毎日ライン数を調整。情報ネットワークの重要性を強調されました。「便りがないのが良い便り」ではなく、「Help」である。
東北大学里見進先生からは、東北大学の行った支援について講演がありました。大学も震災で部屋がめちゃめちゃになりましたが、病院は免震構造で患者・職員の被害はほとんどなかったそうです。しかし、薬品や食料備蓄などすぐに問題が累積、各大学に支援を要請しました。その結果、他の医療機関に配布できるほどの状態になりました。震災直後に患者が押し寄せることを予想していましたが、やはりそれほどでもなかったと。最前線は沿岸だった。
次の研究会への移動のため途中で退席させていただきました。ビッグサイトのある有明やお台場は巨大な建築物がつぎつぎと建設されていました。あんな津波が来たらひとたまりもないのでしょうが、東京でも、半年も更地のまま何も変わらない、という状況になるでしょうか?
私が途中退席で聞けなかった、レセプト情報が役立ったというお話は、目々澤先生のブログをご参照ください。
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